すっかり世の中が便乗しまくっている「鬼滅の刃」ですが、弊所も例外ではありません。11月の東京通信の記事に採用しました。社会現象と化した一大ヒットアニメ、遅ればせながら原作漫画を読みました。
普段、マンガを読まない私ですが(キングダム以来かな)、少年向けの内容ながら性別・年代問わず、人をひきつける理由がわかった気がします。勧善懲悪では割り切れない世の中と、根底にある「生きていく上で、人である故の苦しみ」、それら不合理が、鬼vs人間の対立軸の根底に潜むテーマと思います。
鬼は不死身で、異能を持つ、人間の対極の存在です。何より、人間に害を与える鬼は絶対悪でなければなりません。ところが、鬼はそれぞれ人間であることの苦しみから逃れるために、鬼に成らざるを得なかった事情が語られています。さらに、鬼以上に醜悪な人間の姿も描かれ、人間こそ「鬼」ではないかと思う場面もあります。
この、単に善悪2極対立で済まされない、誰もが共感するであろうモヤモヤ感が、まるで中高年の残尿感のように残ります。このモヤモヤ感こそ、「世の矛盾を解消したい」人の欲求ではないでしょうか。原作者は、そのような矛盾の数々を読者に突きつけるも、いくつか答えを出しています。次の言葉はその一つで、上映中の映画で活躍中の煉獄 杏寿郎(鬼退治をする鬼殺隊でも最強クラスの戦士)の回顧シーンで、その母が亡くなる前に子供の杏寿郎に諭した言葉です。
なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか
弱き人を助けるためです
生まれついて、人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません
天から賜りし力で、人を傷つけること、私腹を肥やすことは許されません
弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です
責任を持って果たさなければならない使命なのです
決して忘れることなきように
母はもう長く生きられません
強く優しい子の母になれて幸せでした
あとは頼みます
古今東西いつの世も、強き者と弱き者に分かれます。国家間では、軍事力・政治力・経済力で、弱き国は常に強国の顔色を窺い、強国の横暴に耐えなければなりません。
個々の民衆レベルは、その構造が縮小したものになります。生まれや境遇の格差、所得の格差、能力の差、同じ人間でも同士でも階層が出来上がってしまいます。そこには、様々な軋轢と矛盾、そして暴力があり、まさに大統領選挙を控えたアメリカを見ての通りです。政策論議のない単なる権力闘争、そして、毎日のように差別撤廃のデモが起きています。何千年も進歩しない人類の姿と、何万年も解決しない人類共通の問題です。強者側の人間に、先の母の言葉はどう映るでしょうか。
鬼滅の物語は、単に問題提起するだけではなく、随所に答えが散りばめられている、現代の子供たちに向けた道徳本ではないかと思います。
(著作権に配慮)東京通信の為に書いたイラスト