新ドラマーは以前バンドを組んいた女性ドラマーにヘルプをお願いしました。女性ながらタイトなビート、リズム感抜群の腕利きです。安いギャラながら快諾してくれました。
O君はその間、腕が挙がるよう、リハビリの毎日でした。当時、近所の温泉のスーパー銭湯によく一緒に行ったものです。
さて、それから1年、いよいよ後遺障害申請と賠償交渉です。後遺障害は右腕神経叢損傷による肩関節の機能障害です。外転(右図)が肩上まで上がるように回復しました。それでも3/4制限ですので、12級となるはすです。
しかし、主治医が可動域の計測をしたところ、ほとんど正常値で、肝心の外転の記載がないのです!知識も無くそのまま提出し・・14級9号の認定となってしまった。
部位 |
主要運動 |
参考運動 |
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肩関節 |
屈曲 |
外転 |
内転 |
合計 |
伸展 |
外旋 |
内旋 |
正常値 |
180 ° |
180 ° |
0 ° |
360 ° |
50 ° |
60 ° |
80 ° |
8 級 6 号 |
20 ° |
20 ° |
0 ° |
40 ° |
|||
10 級 10 号 |
90 ° |
90 ° |
0 ° |
180 ° |
25 ° |
30 ° |
40 ° |
12 級 6 号 |
135 ° |
135 ° |
0 ° |
270 ° |
40 ° |
45 ° |
60 ° |
当時、秋葉は保険代理店ですから保険知識には自信満々だったのですが、後遺障害になるとさっぱりです。濃密だった6ヶ月の研修でも何故か後遺障害だけは、ぽっかり講習が欠落していたように思います。
断言します、保険に携わるプロ代理店、社員であっても後遺障害の知識はほぼ0です。知っているのはSC(サービスセンター:支払い部門)の対人担当、医療調査員に限られ、その知識・経験もたかが知れています。
後遺症で苦しんでいる被害者を助けることができるプロはどこにいるのでしょう?
O君は既に申請前から何人かの弁護士に相談していましたが・・「等級が取れたらまた来て」との対応。そこで、私と一緒に交通事故を専門とする行政書士を訪ねましたが・・ここも自信なさそうです。HPでは上腕神経麻痺を詳しく解説していますが、どうも受任経験がないようなのです。私は、ただ、ただ、専門家不在の現実に愕然とするだけ、己の無力を呪いました。
ここでO君、あるwebページを発見しました。それが『交通事故110番』です。当時、後遺障害の知識において、唯一無二の存在でした。しかし、その存在はアングラ、保険会社ですらほとんど知れていません。早速、ページを精読しました。今まで保険会社が秘匿してきたかのような知識を初めて目にしました。被害者救済業に覚醒した瞬間です。
その知識から、O君は医師に診断書を追記・修正してもらい、異議申し立てで再認定、ようやく12級6号としたのです。その後は紛争センターで交渉し、保険会社提示360万円に対し、ほぼ赤本満額の1000万円を獲得して解決としました。その際、賠償金積算と請求・申立資料は私が作成しました。賠償金の請求など保険屋ごときの知識で十分、後遺障害認定作業に比べれば、実に簡単なのです。
そうです、交通事故解決のコアは後遺障害なのです。
それから1年・・・O君は奇跡的に回復が進み、ドラムがたたけるまで回復しました。今だからいえますが、12級レベルの機能障害ならさもありなんです。
以後、私は被害者救済業を志し、後遺障害の勉強と、それと平行して、業とする看板の為に行政書士の資格取得を進めました。交通事故・保険の知識を誇っていても、本当に厳しい境遇の被害者を助けることはできません。真のプロになるためには、「後遺障害を極めること」と言っても過言でないでしょう。その道程は、ドラムの上腕神経麻痺に端を発したのです。
資格取得後、「交通事故専門」の看板を掲げるも、高次脳機能障害、腓骨神経麻痺・・次々と高度な傷病名に直面し、ついに、交通事故110番の門を叩くことになりました。独力では限界があります。先達に教えを乞い、グループで研鑽していかなければ、140種・35系列の後遺障害に熟達することはできません。そして、多くの被害者さんや弁護士先生にこの知識を広めていかなければ、いつまでも被害者は正当な障害等級が認められません。
もう、バンドなどやっている場合ではなくなりました。
それからの秋葉は見ての通りです。
上腕神経麻痺の想い出とは・・秋葉事務所の 「エピソード 0 」 だったのです。