ネット・広告の世界では、誰もが専門家を名乗っています。専門家をプロと読み替えてみると、専門技術でメシを食っている人との説明になるかと思います。

 スポーツや芸術の分野でプロになる事は大変です。才能だけではなく、途轍もない努力や運も加味されますので、それこそ何万人に1人の存在です。ある雑誌の特集にありましたが、人気絶頂期のモーニング娘に加入する確率は、アイドルを目指す子供達300万分の1に相当するとして、東大の試験に合格するよりも、高校野球で甲子園に行くよりも、難関だったそうです。ピンの歌手や俳優ならもっと大変な確率、難易度になるはずです。生まれつき運動神経がよくて、よちよち歩きからサッカーを始めてプロの選手になる、それも日本代表になることは、競技人口750万人分の11人です。その他、子供の頃から天才と呼ばれて画家になる、同じく小説家になるなども、数10~100万単位の確率になるかと思います。これらしょうもない比較をもてあそんでいますが、各々の平凡な仕事においてプロを目指す事は、スポーツ・芸術分野に比べてはるかに易しいことがわかります。

   

 凡百の仕事でも、やるからにはプロを名乗りたい、同時に他者からプロと認められたいものです。かつて、バンドで出演していた地元の小さなライブハウスで、(自称)プロのミュージシャンのプローデュースがありました。ここで言うプロデュースとは、自らの出演だけではなく、お店のステージ運営を任された立場です。プロですから、当然、実力はありますし、演奏テクニックだけではなく、音響器機の操作など色々な事を教わりました。その点は感謝しています。しかし、どうしても腑に落ちなかった物言いは、彼らの言う「プロの世界では・・」「俺たちプロは・・」でした。テレビに出演するような大スターとは違い、業界の末端の人に過ぎないのですが、そのすさまじい自意識・プライドに辟易させられたのです。集客は私のバンドの方が良かったものですから、口の悪い私などは、「プロ、プロ言うけど、あんたらこれ(バンド)でいくら稼いでんの?」毒舌を吐きそうでした。実際、彼らのほとんどは複数のバイトを掛け持ち、平均的サラリーマンの収入に到底及ばず、決して裕福ではありません。「その程度の収入でよくプロを名乗れるな」と気付きます。プライドだけでプロを名乗る、”武士は食わねど高楊枝”なのです。

 ゴルフの世界でもトーナメントで賞金をとっているような一線級のプロはほんの一握り、頂点から下に裾野は広く、末端はレッスンプロになるかと思います。私達素人に比すれば超絶に上手いのですが、およそレッスンプロで生活は成り立たず、あくまで副業のようです。確かにゴルフでお金をもらう訳ですから、プロには含まれます。でも、自称プロなど、はばかられるようです。つまり、プロは「相応の技術は当然で、いくら稼いでいるのか?」が問われると思います。プロの評価とはズバリ報酬です。収入の多寡は人気とニーズの確かな結果なのです。低収入の専門家は”売れない芸術家”にしか、逃げどころ、落ち着く言葉が見当たりません。しっかり稼がないと、プロを名乗ることなど恥ずかしくてできないと思うのです。

 どの業務であっても、営業部門は常に売上=数字に追われ四苦八苦しています。仕事の中身はそこそこで、売り上げだけを追うような仕事は下の下ですが、実力に伴った収益は目指すべきスコアと思います。厳しいようですが、それこそ、プロと呼ばれる者をはじめ、営利企業の証明だと思います。