ロシアに行ったのは最初のバンドが解散してからだから、ずいぶん前のことです。今年、社員にもっともウケた、ロシアの小話を披露します。年末なので、業務関係外記事もよいでしょう。
ある夏休みに長期休暇を取って、伏木港を出港、船でウラジオストクからロシアに入国、極東地域に遊びに行きました。一人旅なので、行く街々の広場や公園でギターの弾き語りをしました。ソビエト時代はもちろん、10年ほど前までは政治的に西側音楽を締め出していましたが、この時はビートルズもマイケル、マライヤも解禁、何の心配もいりませんでした。
特にビートルズは人気、リクエストも多かった。投げ銭で夕食代は賄えましたから!
Back in the USSRはもちろん、イエローサブマリンなんかも・・
それでも、警官に職務質問というか、何度かしょっ引かれそうになりました。特にハバロフスクは危なかった。二人の警官に服をつかまれ、連れて行かれそうに!。いくら外国人の弾き語りが珍しいと言っても、彼らの目つきは尋常じゃありません。当然、言葉は通じなく、いくら「日本大使館に連絡を!」と言ってもダメです。このままではシベリア抑留に、さようなら日本・・人生で一番焦った瞬間です。
その時、公園に居合わせたストリートミュージシャン(写真の二人)が寄ってきて、警官に熱心に説明?猛抗議?を始めました・・どうやら助けてくれるようです。周囲の若者達もぞろぞろ寄ってきて、ついに、警官は諦めて去って行きました。
その騒ぎの後は、集まってきた仲間達とウオッカを回し飲みしながら、てきとうなセッション大会となりました。どこの国でもロックは共通、音楽を通じて仲間になります。ロシア語・英語・日本語、へべれけながらたくさん歌いました。さらに、腕相撲大会、カードゲーム、言葉は通じなくても全然遊べます。
カラオケもディスコもない街、若者は日没と共に広場に繰り出して、飲み歌い語らう・・実に素朴です。
その日は千鳥足でホテルに帰るのも面倒、ロシア人の家に泊まりました。外国人旅行者は決められたホテルに泊まることがビザの条件です。旧体制の名残でしょうか、自由旅行はNG、ルートも宿泊先もあらかじめ設定・制限付きなのです。違反ですが、一般家庭に泊まることも旅行の醍醐味です。
テレビをつけると、何故か海ばかりが映っていました。なんでだろう?
数日後、海と警察の緊張感の謎が解けました。
帰りの空港で日本人から「ロシアの原子力潜水艦(クルスク)が事故らしい。世界的に大ニュースで、北海で沈んだまま、全員死亡したと発表があったよ。」
えっ、つまり・・広場で「We all live in a Yellow Submarine ♪」と歌っていたが、既に全員、死んでいたのか・・。もしかしたら、非常に不謹慎かつ、政治的危険人物と捉えられたのかもしれません。
このようなおちを残してロシア旅行は終わったのでした。