交通事故治療を複雑にすることは、加害者となる第3者が治療費を負担することにつきます。つまり、賠償問題が絡むので、医師は診断書の記載に一定の注意、緊張感を持つことになります。例えば、患者が訴える症状は事故外傷によるものか? 直接因果関係が無ければ、相手方に補償する義務はありません。すると、医師は事故とケガに関係があるかないか、その判断を迫られる立場なのです。
一つの例として、事故にあった後、肩関節の痛みや可動域制限を訴える患者です。肩腱板損傷となれば、その損傷は事故のダメージによるものか、経年性の劣化(年齢変性)による症状なのかが問われます。年齢が40~50代ともなれば、多くの中高年は普通に五十肩で痛めています。この場合、原因は経年性、いわば病気に近いもので、事故外傷から離れます。それをうかつに「事故のせい」と診断すれば、治療費を負担する加害者側、多くは保険会社に恨まれます。少なくとも賠償問題は治療費等をめぐって激化、長期化することでしょう。したがって、診断書の記載は慎重にならざるを得ないのです。 しかし、事故と因果関係があるのであれば、「ある」と主張するのが被害者側に立つ私達の立場です。まったく関係のない訴えに沿うことはできませんが、医師の見解を求めることが出発点です。なかなか診断書を書いてくれない医師に対して日々、悪戦苦闘となるのです。 書かぬなら、 書かせてみようホトトギス(秀吉) 書くまで待とうホトトギス(家康) 殺してしまえホトトギス (信長)
私達の取る方法として多くを占めるのは、やはり「秀吉」型の工夫です。診断書記載までの段取りや事情を整理して臨みます。因果関係の資料を提示、医師が安心して判断頂けるよう準備をします。
場合によっては、時間をかけた「家康」作戦もあります。これは、一回断られようと事情の変化に伴って、再び記載依頼をするものです。中には3か月後に再チャレンジすると、一度記載を断ったことをすっかり忘れて了解した医師がおりました。まるで記載の判断はその日の気分ですね。そして、殺すことはありませんが、「信長」型の強硬手段をとることもあります。数年に1回程度のレアケースですが、この例はここで話すことはできません。 明日の作戦はオーソドックスな「秀吉」型です。初見の先生ですが、これまでの資料を踏まえ、理路整然と事情と経緯を説明すれば、きっとご理解下さると思います。変な先生は10人に1人位、たいてい話せばわかるのです。