右投げ右打ち佐藤です
西武ライオンズは7月7日、今季限りで松坂大輔投手が引退することを正式に発表しました。昨年、中日ドラゴンズから古巣である西武ライオンズに復帰したが、首の痛みと右手の痺れが強くなったため、7月に頚椎内視鏡手術を受け、復帰を目指してリハビリをしていたようです。ニュースでは、お皿やグラスを注意して持たないと落としてしまうくらい指の感覚がなくなってしまったようです。感覚がない中でどう投げれば制球ができるかと考えていたようですが、特に中指の感覚がなくなったというのが今回の決断に至った理由みたいですね。
交通事故業界でよく目にする頚椎の手術は、椎弓形成術や前方固定術、後方固定術があり、固定術の実施若しくは3個以上の椎弓切除術または形成術の実施で11級7号が認定されます。最近では、松坂投手が受けたような内視鏡を使用した手術等も増えてきているようです。そもそも内視鏡を使用した手術のメリットはなにかと言われると、傷口が小さく目立ちにくい、術後の疼痛が軽度で早期退院が可能、術後のカラー装着が不要、体内に異物を残さないため、感染リスクが少ないなどが挙げられます。松坂投手の場合、復帰を考えての選択だったため、当然の選択だったと思います。交通事故の場合だと、11級7号は認定されず、12級13号若しくは14級9号の選択になるのではないかと思われます。
1998年選抜での延長17回の死闘(相手は強豪校のPL学園)や夏の決勝でノーヒットノーラン達成などテレビの前で熱狂したことを思い出します。プロ野球に活躍の場所を移した衝撃のデビュー(155キロのストレートで片岡選手を三振にとった)やイチロー選手との初対決(そのときはあのイチロー選手が3三振でした)、斎藤和巳投手との投げ合いなど、印象に残る試合が数多くありました。 少年野球から現在まで物凄い数の球数を投げてきたと思います。本当に長い間お疲れ様でした。「自信から確認に変わる」まで物凄い努力を重ねてきたのではないでしょうか。
後遺障害に関して、自信から確信に変わる日が果たして来るのか分かりませんが、松坂投手を倣って今後も精進していきたいと思います。