タイトルを見て、逃げないで下さい。発熱したのは19歳の時、もう30年以上も前のことです。学生時代の夏、長期の中国旅行の真っ最中、四川省の重慶から長江を船で下り、3日ぶりに上陸した街が武漢でした。

 武漢は中国湖北省の東部、長江とその最大の支流である漢江の合流点に位置する都市です。武昌、漢陽、漢口の3つの街からなり、これを武漢三鎮と言うそうです。ここは中国のど真ん中、まさに東西南北の交通の要所。ご存知、三国志では赤壁の戦いの舞台でもあります。漢陽は長江北岸の江夏郡で、漢江が長江に合流する地点が夏口(漢口)です。曹操の荊州進行により追われた劉備が駐留した城で知られます。長江南岸の武昌は呉の領地で、呉の水軍はここから赤壁に向けて発進しました。1800年前は三国角逐の舞台でもあったのです。

 当時の記憶ですが、まず、武昌地区最大の観光地である黄鶴楼(元は三国時代の呉の見張り台だった)に登り、見下ろす東湖で泳いで、夜は武昌魚(ヘラブナのような淡水魚を蒸して油をじゅーっとかけた一皿)を食べました。翌日は一日宿でダウン。旅の疲れもあってか、熱がでました。先月の桂林での風邪がぶり返したようです。終日、大人しくしていました。

 30年前の中国ですから、現在の高層ビルの立ち並ぶ街とは比べようがありません。食事の際、食堂の床に黒い影が行きかっています。何かと思ったら猫でした。テーブルから落ちた食べ物を掃除する係のようです。当時の中国では、食べながら骨など床に吐き捨てることはマナー違反ではなく、料理の残飯を床にどかどか捨てる風習です。

 「その猫が丸々太ったら、鍋に入れるんだ、ウハハ(笑)」 隣のおっさんが教えてくれました。何でも食べる中国ですから・・今でも信じています。衛生環境は当然に良くない。新しい病原菌が生まれるのも納得です。

 その頃の中国は、外国人の観光客を受け入れる「開放政策」になって間もない頃でした。武漢だけでなく、どの街でも日本人は珍しがられたものです。現在の武漢には、およそ430人の邦人が駐留しているとニュース発表がありました。本日、第4便となるチャーター機が向かうそうです。新型コロナの一日も早い収束を願ってやみません。  

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